武蔵の里を歩く
❶宮本武蔵駅
智頭急行「宮本武蔵」駅。珍しい人名の駅です。ホームの壁に約2メートル程の宮本武蔵肖像画が出迎えてくれます。駅前には、幼少時代の武蔵・お通・又八の三体像があります。
➋宮本武蔵顕彰武蔵武道館
剣道のメッカを目指して建てられました。終焉の地熊本に向いています。武蔵が作った刀の鍔「海鼠透鍔(なまこすかしつば)をモチーフにデザインされています。
❸青年期宮本武蔵像
彫塑の巨匠富永直樹氏により、平成7年武蔵の里の庭園に建立された高さ5.6メートルの若き日の武蔵像。春には桜が咲き誇り「武蔵の里」のシンボル的な銅像です。
❹讃甘神社
宮本武蔵ゆかりの神社。主祭神は大己貴命。武蔵は讃甘(さのも)神社の宮司が打つ2本の太鼓のバチさばきによって、二刀流のヒントを得たといわれています。
➎宮本武蔵生誕地碑
大正元年(1912)に建立された。碑の正面には、旧熊本藩主細川護成侯染筆により「宮本武蔵生誕地」と刻まれ、裏面には、現倉敷市出身の東宮侍講三島毅博士の撰文を刻んでいる。
➏宮本武蔵生家跡
もとは茅葺きでした。昭和17年燒失しましたが、大黒柱の位置は昔と変らないと伝えられています。父、祖父とも十手術の達人であり、武術家の家に生まれ育ちました。
➐平尾家
武蔵の姉おぎんの嫁ぎ先。武蔵が武者修行に出立した時、家の道具・系図・すやり・十手をおぎん夫婦に渡しました。庭の樹齢450年のタラヨウの木は天然記念物です。
❽楽市楽座
月1回朝市を開催している特産品販売所。採れたての新鮮野菜やかき餅、豆餅などの加工品、民芸品などを直売。ほかに、特産の大粒黒大豆「作州黒」を使った土産物も販売しています。
➒鎌坂つつじ園
鎌坂峠入口門からすぐの場所にあります。地元シルバーボランティア、大原小・中学生が、ツツジやサツキを植樹し毎年4月中旬~5月中旬が見頃です。園内では鯉のぼりが空を泳ぎ、緑豊かな風景に色を添えます。
❿武蔵神社
宮本武蔵を祀る神社として昭和46年奉賛会が中心となり建立しました。文武にたけた武蔵にあやかりたいと、受験合格やスポーツ必勝祈願の神社として知られています。
⓫武蔵の墓
武蔵神社の裏に、武蔵の養子・伊織によって熊本の弓削の里より分骨されたと伝えられています。父の平田無二斎と並んで祀られています。
⓬一貫清水
鎌坂峠に年中絶えることのない清水があり、「この水は一貫の値がある」と、この名がつきました。武蔵が故郷をあとに修行の旅に出るとき竹馬の友、森岩彦兵衛と別れを惜しんで飲んだといわれる水が今も湧いています。
⓭鎌坂峠
昔から有名な鎌坂峠。因幡街道で因州鳥取から播州へ通ずる江戸往返の国道です。
少年武蔵が佐用・平福の母のもとへ何度も通った坂道です。頂上には峠茶屋跡の広場があり、かつては参勤交代の一行の休憩処でした。
⓮竹山城
竹山城は太平記にも名が出てくる後期の山城です。武蔵の父平田無二斎はこの城に剣道師範役として仕えていました。標高430㍍あるこの城跡は眼下に宿場町の面影を残す家並と、南に武蔵生誕地宮本を望み、遠く北東には岡山県最高峰後山が望めます。
因幡街道大原宿を歩く
因幡街道大原宿
古町町並み保存地区◆因幡街道の宿場町として発展してきた古町は、本陣・脇本陣の遺構が町の中心部にそろって現存し、江戸時代後期から明治・大正期の町屋(まちや)を中心に町並みを構成して、今なお宿場の景観を保っており、昭和61年に岡山県から『町並み保存地区』に指定されています。
大原本陣は、因幡街道を往復する鳥取藩主、池田候が参勤交代の途中宿泊するところでした。数寄屋造の御殿と御成門が今なおその姿をとどめ、約二百年前の本陣の遺構を今日まで残している数少ない本陣です。
脇本陣は、大名や幕府の重臣が本陣に泊まる時、家老や奉行の宿舎にあてられました。主家(桁行七間半、梁間五間半の町家造り)・玄関・長屋門(桁行九間半、梁間一間半)・池庭・土蔵を備えています。